Sweet Betsy from Pike|歌詞・和訳・意味を解説
この作品について
『Sweet Betsy from Pike』は、19世紀半ばのCalifornia Gold Rush期の西部移住を題材にした英語のコミック・ソングです。一般にミズーリ州Pike CountyからCaliforniaへ向かうBetsyと恋人Ikeの旅として伝えられ、牛、犬、鶏、豚まで連れた二人が大平原や砂漠を越えて金鉱地を目指します。しかし旅は英雄的な成功譚にはならず、疲労、荷馬車の横転、家畜の死、食料不足、腹具合、喧嘩、結婚、そして離婚までが次々に笑いへ変えられます。John A. Stone(Old Put)に帰属する歌として1858年の『Put's Golden Songster』に現れ、ここではJohn A. Lomax編『Cowboy Songs and Other Frontier Ballads』(1910年)の長い採録版を扱います。
二人は「金を掘り当て、ひと財産できたら帰ってくる」と故郷を出発します。ところが旅が進むにつれ、Betsyは砂漠で倒れ、荷馬車はひっくり返り、家畜も食料も失われます。しかもCaliforniaへ到着してからも、物語は成功や幸福で終わりません。大きな「西部開拓」の物語が、どんな小さな失敗や身体の問題へ崩されていくのかを追ってみてください。
対訳
from Pike / Pike County この歌は一般にミズーリ州Pike CountyからCaliforniaへ向かう移住者の物語として整理されている。ただしLomaxの採用本文自体には州名までは書かれていない
two yoke of cattle 一つの yoke は軛につないだ一組の牛。ここでは二組、計四頭
shanghai rooster 19世紀にアメリカへ導入された、大型で脚の長い中国系の鶏を指す呼称
panned out our pile pan は砂金を鍋で選り分けること。pile はここでは金や財産の蓄え。「金を掘り当てて一財産築く」というGold Rushらしい出発時の期待を表す
the Platte Platte River。19世紀の西部移住路に沿う重要な川で、多くの移住者がその流域を西へ進んだ
Pike County rose Betsyを故郷Pike Countyの「薔薇」にたとえた愛称。疲れ切った旅人を大げさに美化するところにも、この歌の軽い滑稽味がある
gave out 体力が尽きて、もう先へ進めなくなること
you'll get sand in your eyes Betsyが砂漠で力尽きているという深刻な状況に対し、Ikeの心配が「目に砂が入る」にずれることで生まれる乾いた笑い
baby clothes ... suspicious この時点ではBetsyとIkeはまだ結婚していないため、赤ん坊の服が出てくることを語り手が意味ありげに「怪しい」とからかっている
all on the square 「正当な、まっとうな、やましいところのない」という口語表現。意味深な冗談を振った直後に、「いや、ちゃんとした話だ」と打ち消す落ち
Placerville / Hangtown 同じCaliforniaのGold Rush都市を指す。金鉱町は処刑が行われたことから「Hangtown」と呼ばれるようになり、1854年の市制施行時にPlacervilleが正式名称となった
Quoth Ike quoth は「〜と言った」を意味する古風な語。くだけた西部の物語の中でわざと古風な語を置く、滑稽な響きもある
old hoss hoss は horse の口語形だが、人へのくだけた呼びかけにも使われる。ここでは「おっさん」「あんた」ほどの調子
make too free 遠慮なく振る舞いすぎる、なれなれしくする
Dog on ye doggone you に近い、比較的軽い悪態。「こんちくしょう」ほどの調子
chock full of strong alkali 西部移住路では強いアルカリ性の水や湿地が実際の難所だった。ここではBetsyが自分の身体を「アルカリでいっぱい」と言い、過酷な旅の現実を腹具合の冗談へ変えている
lummax 現在の lummox にあたる形。大きくて鈍い、間抜けな人物をからかう語
backed out 約束や関係から手を引く、撤退する。Ikeが離婚を求めたことをBetsyがむしろ歓迎している
replenish my pile pile は冒頭では「金を掘って作る財産」。最後ではBetsy自身の「蓄えを補充する」と言い換えられ、出発時のGold Rushへの期待を離婚後の金銭的な冗談へ反転させている
Gold Rushの英雄譚を、疲労と失敗と離婚の話に変える
『Sweet Betsy from Pike』の出発点には、いかにもGold Rushらしい夢があります。BetsyとIkeはPike Countyを離れ、Californiaへ向かい、「金を掘り当て、ひと財産できたら帰ってくる」と歌います。大きな山を越え、新天地で成功して故郷へ戻る。ここだけなら、典型的な西部開拓の成功物語が始まりそうです。
しかし、この歌はその期待をほとんど真面目に扱いません。二人が持っていくものからして、牛、黄色い犬、背高の鶏、斑の豚という妙に具体的な一行です。壮大な大陸横断の旅が、最初から家畜と生活道具を積み込んだ家族旅行のような大きさに縮められています。
これは実際の西部移住とも重なります。Gold Rush期、多くの移住者は単身の冒険家としてではなく、荷馬車に食料、生活用品、衣服などを積み、家畜を連れてCaliforniaを目指しました。歌はそうした旅を背景にしていますが、苦難を勇敢に克服する人間を描くより、「その旅で何が次々とうまくいかなくなるか」を笑いの材料にします。
Platte River沿いでBetsyが疲れて休む場面では、Ikeは彼女を「Pike Countyの薔薇」と眺めます。しかしその直後、Betsyは砂漠で完全に力尽き、地面を転げ回ります。そこでIkeが言うのは、「大丈夫か」でも「水を探そう」でもなく、「起きろ、目に砂が入るぞ」です。
危機に対して心配の焦点が少しずれている。このズレが、歌全体の笑い方をよく示しています。旅の苦難そのものを否定するのではありません。Betsyは本当に疲れ、痛みを抱えています。しかし深刻な場面へ入りきる直前に、どうでもよさそうな細部が差し込まれます。
さらに荷馬車が横転すると、荷物の中から赤ん坊の服が出てきます。まだ結婚していないBetsyとIkeの荷物からbaby clothesが現れるので、語り手は rather suspicious――「どうも怪しい」と意味ありげに言います。しかしすぐに though 'twas all on the square、「いや、何もやましいことはなかった」と付け加えます。
ここでも、西部移住の大きな歴史は一度脇へ置かれます。荷馬車事故によって本来なら生活物資を失ったことが問題になるはずなのに、歌が注目するのは「赤ん坊の服なんか持っていて、この二人は本当に大丈夫なのか」という下世話な冗談です。
その後はさらに悲惨です。鶏は逃げ、牛はすべて死に、最後のベーコンまで食べ尽くします。Ikeは意気消沈し、Betsyは腹を立て、犬まで「ひどく悲しそう」に見えます。出発時には牛四頭、犬、鶏、豚を連れた一団だったのに、Californiaへ近づくころには、その生活基盤そのものが崩れています。
それでも、二人はCaliforniaへ到達します。丘の上からPlacervilleを見下ろし、Ikeは「Hangtownへ着いたぞ」と叫びます。PlacervilleとHangtownは別の目的地ではありません。同じGold Rushの町です。現在のPlacervilleは、1849年前後の処刑をきっかけに「Hangtown」と呼ばれるようになり、1854年にPlacervilleの名で正式に市制化されました。
この地名の二重性自体が、Gold Rushの記憶をよく示しています。Californiaへ到達した二人が見るのは、抽象的な「黄金の西部」ではなく、金鉱ブームによって急成長し、処刑の記憶まで町名に残した具体的な鉱山都市です。
しかし、この歌では「ついにCaliforniaへ着いた」ことすらクライマックスにはなりません。すぐに物語は舞踏会へ移ります。IkeはPike Countyのズボンをはき、Betsyはリボンと指輪で飾り立てられます。「天使みたいだ、でも翼はどこだ?」というIkeの台詞で、長い大陸横断の旅は一気に田舎者の舞踏会の冗談になります。
そこでBetsyへ踊りを申し込む鉱夫とのやり取りも、この歌らしい場面です。Betsyは「なれなれしくしないなら踊る」と答えますが、「激しく踊らせないで、強いalkaliで腹がいっぱいだから」と続けます。西部移住路では、アルカリ分の強い水や乾いたアルカリ湖が実際に旅人や家畜を苦しめました。National Park Serviceの資料にも、飲めないアルカリ水が移民の障害になった場所が記録されています。ここではその厳しい環境が、Betsyの腹具合のギャグへ変換されています。
この「大きな歴史を身体の問題へ落とす」感覚は、歌のかなり重要な特徴です。砂漠は「目に砂が入る」、西部のアルカリ地帯は「腹がアルカリでいっぱい」、食料不足は「最後のベーコンを焼いた」。移住の危険は常に存在しますが、語り手はそれを英雄的な苦難へ持ち上げず、食べる、疲れる、痛む、腹を壊すという日常的な身体へ戻します。
そして普通の開拓物語なら、Californiaへ到着して金を手にし、BetsyとIkeが結婚すれば、そこで「めでたしめでたし」になりそうです。実際、二人は got married of course――「もちろん結婚した」と、まるで当然の結末のように結ばれます。
ところが、その同じ一行の次にはIkeが嫉妬深くなり、離婚します。しかもBetsyは悲しまない。well satisfied――大満足で、「さよなら、でっかいうすのろ。手を引いてくれてせいせいした」と叫びます。
ここで歌は、西部移住だけでなく恋愛物語の定型まで崩します。二人は苦難を共に乗り越え、Californiaへ到達し、結婚までした。それでも関係は終わります。旅を一緒に耐え抜いたから幸福な夫婦になる、という因果関係をこの歌は認めません。
最後のリフレインも巧妙です。冒頭では「金を掘って our pile を作ったら故郷へ帰ろう」と、二人の共同の財産を夢見ていました。ところが離婚後、BetsyはIkeへ come back in time / To replenish my pile――「私の蓄えを補充するのに間に合うよう戻ってきて」と言います。our pile が my pile へ変わっているのです。
出発時には恋人同士で共有していたGold Rushの夢が、最後にはBetsy個人の金銭的な冗談に変わります。Californiaへ行けば財産ができるという期待も、永遠の恋人同士という期待も、どちらもそのままでは残りません。
この歌自体もGold Rushとかなり近いところから生まれました。Traditional Ballad IndexはJohn A. Stone(Old Put)を作者として名乗った人物とし、1858年の『Put's Golden Songster』を早い資料として挙げています。StoneはCaliforniaの鉱夫や西部生活を題材にした歌を出版していた人物でした。
また、この歌は一から新しい音楽形式を作ったわけではなく、当時英米で広まっていたコミック・ソングの旋律文化ともつながっています。『Sweet Betsy from Pike』に用いられた旋律は、イギリスで流行したコミック・ソング『Villikins and His Dinah』系の旋律と結びつけられています。つまり、Gold Rushの新しい経験を、すでに人々が知っていた滑稽歌の器へ流し込んだ作品でもあります。
その意味で『Sweet Betsy from Pike』は、西部開拓そのものを否定する反開拓歌ではありません。Californiaへ向かう興奮も、Gold Rushで財産を作る夢もちゃんとあります。ただし、それを後世の英雄神話のようにきれいには整えません。
牛は死ぬ。鶏は逃げる。ベーコンはなくなる。Betsyは砂漠で転がる。荷馬車から赤ん坊の服が飛び出す。Californiaへ着けば腹にはalkaliがたまり、結婚すれば嫉妬で離婚する。大陸横断という巨大な出来事が、こうした小さな不都合の連続として語られます。
だからこの歌に残っているのは、「勇敢な開拓者が西部を征服した」という記念碑的な姿ではありません。疲れ、腹を立て、冗談を言い、旅の途中で帰りたくなり、それでも先へ進み、最後には恋人まで捨ててしまう人間です。西部移住の大きな歴史を、人間が実際に経験できる大きさまで引き下ろして笑うところに、『Sweet Betsy from Pike』の面白さがあります。
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