Home on the Range|歌詞・和訳・意味を解説【西部民謡】
この作品について
『Home on the Range』は、アメリカ西部の広い放牧地を「わが家」と呼び、その自然への愛着を歌う英語の歌です。もとは1870年代前半にカンザスのBrewster M. Higleyが書いた詩に由来し、Daniel E. Kelleyが旋律を付けたとされています。その後カウボーイたちの口承を通じて広まり、多くの異なる歌詞が生まれました。ここではJohn A. Lomaxが1910年の『Cowboy Songs and Other Frontier Ballads』に収録した「A Home on the Range」を扱います。この版では、野牛やアンテロープ、星、野花など西部の美しい風景をたたえる一方、先住民が土地から押し出されたことにも触れています。
この歌では、澄んだ空気や星空、野花、白鳥まで、理想の「わが家」を形づくる風景が次々に並びます。ところが、その途中に一度だけ、先住民がこの土地から pressed――「押し出された」と歌う節が現れます。美しい西部を「home」と呼ぶ声の中に、誰かがそこからいなくなった記憶も残されていることに注目して読んでみてください。
対訳
range ここでは家畜を放牧する広大な草原・放牧地。「範囲」という一般的な意味ではない
buffalo 北米でアメリカバイソンを指す一般的な呼び名
antelope 北米西部ではプロングホーンを指してこの名で呼ぶことがある。動物学上の真正のアンテロープとは別系統
zephyr もとは西風を指し、英語の詩では穏やかなそよ風を表す古風・詩的な語
balmy 気候や風が暖かく穏やかで心地よいこと
The red man 北米先住民を肌の色によって類型化した歴史的呼称。現在では不適切な表現であるため、訳では指示対象を「先住民」とした
was pressed from 圧力を受けてその土地から押し出された、追われたという受動表現。自発的に立ち去ったという意味ではない
seldom if ever 「あるとしても、めったにない」。ほとんど起こらないことを強く表す言い回し
that of ours 直訳すると「私たちのものの栄光」。前後で繰り返し称賛される「私たちの土地・わが家」の美しさを指すと読み、訳では「この地の輝き」とした
curlew 長く湾曲したくちばしを持つシャクシギ類の鳥。甲高くよく通る声でも知られる
this dear land of ours 「この愛しい私たちの土地」。単なる景色への好意だけでなく、土地を「ours=私たちのもの」と呼ぶ表現になっている
diamond sand 光を受けてダイヤモンドのようにきらめく砂を表す詩的な比喩
「わが家」を歌う言葉は、口承の中で変わっていった
『Home on the Range』の中心にある感情は、かなり単純です。こここそ自分の暮らしたい場所だ、という土地への愛着です。野牛、鹿、アンテロープ、澄んだ空気、穏やかな風、星空、野花、鳥、白鳥。歌い手は西部の風景を一つずつ積み重ね、最後には「どんなに輝く都会すべてとも取り替えはしない」と言います。繰り返される Home, home on the range は、広大な土地を単なる景色ではなく「わが家」として呼び直す言葉です。
ただし、今回読んでいる1910年のJohn A. Lomax版を、そのままBrewster M. Higleyが1870年代に書いた原詩だと考えると、この歌の重要な部分を見落とします。Higleyの初期詩は一般に「My Western Home」と呼ばれ、カンザスの自然をたたえる詩でした。そこには野牛とアンテロープ、きらめく砂と白鳥、野花と鳥、星空、穏やかな風など、現在の『Home on the Range』へ受け継がれた多くの材料があります。
しかし、歌はその後、書かれた詩のまま固定されたわけではありませんでした。カウボーイたちの間で歌われ、土地から土地へ、人から人へと伝えられるなかで、歌詞が変化していきました。Library of Congressによれば、Lomaxが1908年にテキサスで採集した版はHigleyの原詩とは異なり、原詩にない節を含む一方で、原詩にあった節を欠き、リフレインにも変化が見られます。1910年に『Cowboy Songs and Other Frontier Ballads』へ収録された今回の版は、そうした口承の途中で形づくられた一つの姿なのです。
その違いが最も目立つのが、The red man was pressed from this part of the West で始まる節です。Kansas Historical Societyが示すHigleyの初期詩には、この節はありません。ところがLomax版では、美しい西部をたたえる節の途中に、先住民がこの土地から「押し出された」ことが突然現れます。誰が、どの出来事によって、どの集団を追い出したのかまでこの歌詞は説明しません。しかし少なくとも、この版の歌い手は、そこに以前いた人々がいなくなったことを知っています。
pressed という言葉も重要です。「去った」のではなく、「押された」「圧力を受けた」という受動形です。一方で、誰が押したのかは文の表面から消えています。その直後には、レッド川の岸辺で彼らの焚き火がほとんど見えなくなったと続きます。ここで描かれるのは、先住民の姿そのものよりも、かつて存在したものが消えた風景です。
だからこそ、その少し後に出てくる this dear land of ours――「この愛しい私たちの土地」という言葉が目に留まります。歌い手にとって、この土地は疑いなく愛すべき「ours」であり、「home」です。しかし同じ歌の中には、その土地から別の人々が押し出されたという記憶もあります。1910年版は、この二つを整理して説明してくれるわけではありません。ただ、美しい自然への愛着と、土地の住人が入れ替わった記憶を、同じ歌の中にそのまま置いています。
ここで、この歌を単純に「西部開拓を称賛する歌」あるいは「先住民排除を告発する歌」のどちらか一方に決めてしまう必要はありません。大部分を占めるのは、明らかに風景への愛情です。澄んだ空気や星空を眺め、野花や鳥の声を愛し、都会よりこの土地を選ぶ。その牧歌的な感情はこの歌の中心にあります。同時に、1910年版には、その理想の風景が無人の土地ではなかったことを思い出させる一節も残っています。
そして、その一節がHigleyの初期詩には見られないことは、『Home on the Range』を一人の作者だけの作品として読むことの難しさも示します。口承歌では、ある歌い手が節を加え、別の歌い手が節を落とし、土地に合わせて言葉を変え、その形がさらに次の人へ渡っていきます。Lomax自身が採集した版にも、そうした時間の積み重なりがあります。
現在もっともよく知られている『Home on the Range』を聞くと、私たちは「Home, home on the range」という親しみやすいリフレインを中心に覚えています。しかし1910年の長い版を読むと、その「home」が作られるまでに、詩を書いたHigley、旋律を付けたKelley、歌を運んだカウボーイたち、名前の残らない歌い手たち、そしてLomaxによる採集という複数の層が重なっていることが分かります。
『Home on the Range』が歌う「わが家」は、最初から一つの固定された歌詞の中にあったわけではありません。西部の風景を愛する言葉そのものが、人から人へ渡るたびに形を変えながら、「わが家」というイメージを作ってきました。今回の1910年版に残された先住民の節も、その長い伝承の途中で歌に入り込んだ一つの記憶として読むことができます。
コメント
コメントを投稿