The Holly and the Ivy|歌詞・和訳・意味を解説【クリスマス・キャロル】
この作品について
『The Holly and the Ivy』は、イングランドで伝承されてきた作者不詳の英語クリスマス・キャロルです。今回扱うのはCecil J. Sharp『English Folk-Carols』(1911年)所収の6節版です。柊の白い花、赤い実、鋭いとげ、苦い樹皮を、マリアが産んだイエス・キリストの誕生、受難、そして人々の救済へ重ねながら歌います。
題名には holly と ivy、柊と蔦の二つが並んでいます。ところが本文を読み進めると、花、実、とげ、樹皮まで詳しく語られるのはほとんど柊だけです。二つの植物から始まった歌が、なぜ一方だけを中心に展開していくのかを意識して読むと、このキャロルの少し不思議な形が見えてきます。
対訳
holly / ivy 柊と蔦。どちらも冬にも緑を保つ常緑植物で、イングランドでは冬季やクリスマスの装飾と深く結びついてきた
bears the crown 「冠をいただく」「最上位となる」。森の木々の中で柊が勝者になるように擬人化している
bears / bore どちらも動詞 bear。植物が花や実を「つける」と、女性が子を「産む」の両方に使える。原文では柊とマリアを同じ動詞で結びつけている
white as the lily flower 百合の白さは、キリスト教の伝統や美術ではマリアの純潔と結びつけられることが多い
red as any blood 柊の赤い実を血の色へ重ねる表現。歌全体ではキリストの受難を連想させる
for to + 動詞 現在の標準英語では普通 to + 動詞 とするところに for to を用いる古い言い方。ここでは「〜するために」の意
prickle / thorn prickle は植物の鋭いとげ。ここでは柊のとげを、キリスト受難の「茨の冠」を連想させる thorn へ重ねている
in the morn 「朝に」。morn は morning の古風・詩的な形
gall 胆汁。英語では強い苦さの代名詞にもなる。福音書の受難場面には、イエスに gall を混ぜた飲み物が差し出される記述があり、ここでも苦さが受難のイメージと重なる
redeem 「贖う、救済する」。キリスト教では、キリストの犠牲によって人間を罪から救うことを指す重要な語
二つの植物から始まり、柊だけが「冠」を受ける
題名は『The Holly and the Ivy』――「柊と蔦」です。第1節でも二つの植物は並んで登場します。ところが、その直後に歌われるのは The holly bears the crown.、「柊が冠を受ける」という言葉です。そして第2節以降、歌は蔦から離れ、柊の花、実、とげ、樹皮を一つずつ取り上げていきます。
そこで作られるのは、柊という一つの植物を使ったキリスト教的な象徴の連鎖です。白い花は百合の白さへ、赤い実は血へ、鋭いとげは茨へ、苦い樹皮は胆汁の苦さへと結びつきます。歌はクリスマス、つまりキリストの誕生を祝うキャロルですが、その視線は誕生だけに留まりません。生まれた幼子が後に経験する受難と、その死による救済までが、柊の各部分の中へ重ねられています。
その対応を支えているのは、色や形だけではありません。第2節の The holly bears a blossom と Mary bore sweet Jesus Christ では、bears と bore が同じ動詞 bear の現在形と過去形になっています。柊が花や実を「つける」ことと、マリアがイエスを「産む」ことを、英語では一つの動詞で響き合わせることができます。日本語では「つける」と「産む」に訳し分けるため見えにくくなりますが、原文ではこの反復が柊とマリアを結ぶ仕掛けの一つになっています。
では、題名にまで名前を残している ivy、蔦はなぜほとんど語られないのでしょうか。ここで興味深いのが、イングランドに残る、柊と蔦を競わせる別系統の古い歌の伝承です。15世紀の歌にも、hollyとivyが「どちらが優位に立つか」を争うものが残されており、後世の記録ではhollyを男性側、ivyを女性側に結びつける説明も見られます。
その文脈を知ると、この歌の冒頭にある Of all the trees that are in the wood, / The holly bears the crown. という言い方も少し違って見えます。「森の木々の中で柊が冠を受ける」というのは、単に柊を褒めているだけでなく、二つの植物の優劣を決めるような響きを持っています。題名にはhollyとivyの対が残っているのに、歌が始まるやいなやhollyが「冠」を取り、その後の象徴もすべてhollyへ集中する。その不均衡自体が、この歌の面白いところです。
ただし、ここから現在の『The Holly and the Ivy』を、その15世紀の競争歌がそのまま変形したものだと断定することはできません。古いhollyとivyの歌には複数の形があり、現在知られるキャロルとの関係も単純な一本の系譜として示せるものではありません。「古い異教の植物信仰がそのままキリスト教化された歌」といった説明も魅力的ですが、確認できる資料以上に話を単純化しない方がよいでしょう。
さらに、今回採用した1911年版そのものも、一人の歌い手から完全な6節がそのまま記録されたものではありません。編者Cecil J. Sharpの注記によると、この歌はChipping CampdenのMary Claytonが歌ったものを基礎にしながら、East HarptreeのMrs. Wyattから得た別の詞で不足部分を補っています。Sharpは第2節について、一行を一般的なブロードサイド版の表現へ差し替えたことも明記しています。
つまり、ここで読んでいる「1911年版」も、長い口承の途中で異なる伝承を集め、編集して形にされた一つの姿です。これは伝承歌を読むうえで重要です。作者が一度書いて固定した作品とは違い、歌われる場所や人が変わるたびに、節が抜けたり、別の言葉が入ったり、複数の形が並存したりします。
リフレインも、その重なりを感じさせます。The rising of the sun、昇る太陽と、the running of the deer、駆ける鹿という自然の風景に、the merry organ と singing in the choir という教会の音が続きます。これは柊の花や実からキリストの生涯をたどる各節と、物語として直接つながっているわけではありません。冬の自然、狩りを思わせる風景、そして教会のクリスマスの音が、一つのリフレインの中に並んでいます。
そう見ると、『The Holly and the Ivy』の少しちぐはぐなところは、むしろこの歌らしさでもあります。題名には二つの植物がいるのに、本文では柊が勝つ。クリスマスの誕生を歌いながら、すでに受難と贖いまで見通している。自然の太陽や鹿のすぐ隣で、オルガンと聖歌隊が鳴っている。そして現在読む6節も、複数の伝承を経て編まれたものです。
一見すると単純なクリスマス・キャロルですが、その中には異なる時代や文脈の言葉が折り重なっています。柊が「冠」を受けるという最初の一行から、植物の競争、キリスト教的な象徴、そして歌い継がれるなかで形を変えてきた伝承そのものまでが見えてくる。題名に残されたivyの存在は、その重なりを考えるための小さな入口になっています。
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